「カッコつけて言えば、南の島、暖かいところで暮らしたい。ぶっちゃけて言えば、人生に疲れてかな。」移住の動機を尋ねたところ、ヒデさんは笑いながらそう答えた。笑顔の奥の真意はまだわからない。
 



 ヒデさんは千葉県浦安市内の企業の中で行政書士として働くサラリーマンだった。そこには奥様の亜矢さんも事務職として働いていた。
 お付き合いをしていた二人の趣味は共にダイビング。マニアックなダイバーだったので石垣島は通過点。西表の海が好きで2、3度潜りに行っていたという。30歳を目前にひかえた頃、人生に疲れていた(笑)ヒデさんは趣味のダイビングを仕事にしようと移住を考えた。移住先は生活のことを考えると西表ではなく石垣だろう。「石垣に一緒に行けば、ダイビングし放題だよ。」と亜矢さんを甘い言葉で誘った。その言葉だけに引かれたわけではないが、ヒデさん30歳の誕生日にめでたく入籍。夫婦として、仕事のパートーナーとして、翌4月に二人は石垣島に向かった。今から7年前の1999年のことである。
 
 

 石垣島に着いた二人は早速住まい探しを始める。民宿に泊まって不動産屋を回った。物件数も少ない上に、二人を悩ましたのは保証人の問題だった。どの不動産屋も石垣島在住の保証人を求めてくる。着いたばかりの二人に当然知り合いはいない。なんだか来るなと言われている気がしたそうだが、5件目の不動産屋で初めて亜矢さんを保証人に、そして保証金を1カ月分追加で払うということで貸してもらえることになった。やっと仮住まいの確保だ。1年後にはダイビングショップをオープンしなければならない。ほっとしてはいられない。
 次は住まいを兼ねたショップを建てる為の土地探し。あちこちに顔を出し、声をかけるなど精力的に動いた末、野底に坪5万円、150坪の土地を手に入れた。今回は知人を介しての購入なのですんなりと話は進み、早速、千葉の設計士に1階はショップ、2階にはまだ子供もいなかったのでワンルームの2階建ての家の設計を依頼した。出来上がった図面を手に今度は建設会社を回る。ここでヒデさんの計画は方向転換せざるを得なかった。予算をはるかに超える建設費。まだまだショップの準備にお金が必要なので家の建設は断念し、プレハブを建てて住まいにすることにした。ショップを始める為の貸店舗を探し始めた矢先、目と鼻の先にある家のオーナーと知り合い、「別荘として使っているだけだから、貸してあげるよ。」という有難い話をいただいた。運よく部屋が4部屋もある。野底でダイビングショップを開くには宿も兼ねた方がいいはずだと考えたヒデさんは、ここでペンションも始めることにした。
 さあ、仕切り直しだ。舵取りは得意なヒデさんである。






 
 
 計画どおり、1年後にヒデダイビングサービスはオープンした。しかし、貯蓄が底をついてのスタートだった。不安は残るがもう後戻りはできない。ここで力を発揮したのが亜矢さんだ。ペンションの賄い、送迎、そして事務担当として夫を支えた。オープンした2000年、売上は伸びず厳しかった。見えていなかった経費も次々と出てくる。趣味は趣味に留めていたほうがよかったかと弱気になってしまうことも。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。翌2001年はテロの年だった。ダイバーも海外を敬遠し、沖縄離島にやってきた。
 少しずつ手ごたえを感じ始めた矢先、亜矢さんが妊娠、そして出産。何よりも大切な仕事、子育てが加わった。まだ首のすわらぬ長女をひざに抱いて送迎車を運転していたと笑って語る亜矢さん。二人三脚のリズムは見事に軽やかだった。
 2年後、二人目を妊娠した。妊娠中期の頃、どうも体調が思わしくなく早産の危険があるとのことで緊急入院。無事に生まれてくるまで病室のベッドの上で寝たきりの生活を余技なくされた。亜矢さんにこれ以上の負担はかけられない。では、ペンション部門を撤退するか。いや、野底で宿泊施設がなければ集客はむずかしい。ショップを市内に移転するか・・・・・悩みに悩んだ末、野底の家は住まいとして使い、新たに市内にショップを構えることにした。
 さあ、仕切り直しだ。舵取りは得意なヒデさんである。
 
 
 とても明るいお二人は口をそろえてこう言う。「野底はいいですよ。特に下地地区は子どもも多いし、いいのかなって思うほど回りの人に親切にしてもらっています。」「地元の人と移住者が仲がいいんですよ。私も後から仲間に入れてもらっています。」昨年末、三人目を出産して現在3人娘の親御さんだ。子供がいたからこそ、地域の人と自然に関わりが持てたという。出産間もないひと月ほどは、近所の人が娘さんを伊原間保育園まで送ってくれたそうだ。
 「どうも、島への移住というと、なんでもしてくれる、迎えてくれると勝手に思ってしまう人が多いようですね。東京から大阪へ移住するのと同じです。島だからって何も特別のことはないですよ。」そうヒデさんは言う。旅行に来るのとは違うのだ。常に自分から輪の中に入っていき、その地に馴染んでいかなければならない。教えてもらわなければならない。ヒデさんの場合は娘さんたちが橋渡しをしてくれた。
 元気いっぱい裸足で遊ぶ娘さんたち。塾通い、そしてゲームばかりで遊ぶ都会の子供たちとは全く違う生活だ。ふと、娘さんたちの将来のことを考えるとずっと島の生活でいいのかとかんぐってしまった。亜矢さんは「私は子供の頃、よく引越しをしていたんですよ。だから、子供たちには高校を卒業するまでここで暮らさせたいと思っています。」何の迷いもなくそう言っていた。もちろんヒデさんも元気に遊ぶ子供たちを目を細めて見守っている。
 
 
 
 

 移住して7年、ダイビングショップを開いて6年、最初の3年間は本当に苦しく、長かったと振り返るヒデさん。船の修理代金100万円を急遽用意しなければならなかった時、地元の銀行に相談したところ、「これだったら。」と高い金利の商品を提示された。「おれの信用ってこんなものかよ。」がっかりしたという。それでもどうすることもできずに頭を下げて貸してもらった。
 現在、ヒデさんは移住当初あきらめた野底に家を新築する予定だ。もちろん、銀行でローンを組む。「保証人なし、低金利の融資が受けられることになったときは本当にうれしかったですね。」と感慨深げに語ってくれた。7年間の生活が信用されたのだ。近々、着工する予定だ。(建築状況はヒデさん自らのブログで報告予定です)
 
 
 この生活を45歳まで続け、45歳を迎えた時リセットしたいと話してくれた。「ダイビングショップをやめるということではないですよ。とにかく一度リセットしたいんです。その時、何をやるかは決めていないけれど、健康な体、資金的余裕があれば、やりたいことを選択することができるんですよね。その目標のためにまだまだ頑張りますよ。」



 これまでは予期せぬ障害にやむなく転舵してきたが、45歳で一旦いかりをおろし、進みたい方向に再び舵を取るキャプテンになっているはずだ。 Bon voyage。
 
中西政秀さん 37歳
福井県出身
亜矢さん 30歳
埼玉県出身
梨夏ちゃん 5歳
石垣島出身
ゆりちゃん 3歳
石垣島出身
あいちゃん 6ヶ月
石垣島出身
 
石垣島といえばダイビング。
ヒデさん自ら八重山の海をガイドします。
初心者からベテランダイバー、もちろん1日だけの体験ダイビング。誰でも八重山の海を楽しめます。
お気軽にお問い合わせください。
ヒデダイビングサービスホームページ:http://www.hide-ds.com 
写真提供:ヒデダイビングサービス